喉頭機能外科 : 補遺
: VIII 結語
: 謝辞


補遺

声帯の2質量モデル (石坂)

声門部における圧力分布

aerodynamic theory では声門部という狭窄部を気流が高速で通過する際ベルヌーイ効果により陰圧を生じ, 声帯が吸引されるという. この陰圧は生理的条件下では勿論正確に測定できるものではなく (針を刺すなどの測定用条件負荷の影響のため), 石坂は喉頭モデルについて理論式からこれを求めた. その結果は図1の如くで声門下圧 5cm, 10cm, 15cm の場合の平均圧力を声門間隙 h の関数として示してある. 乱流として計算した場合, 平均圧力が負となるのは声門間隙が 0.05cm 以上であって, これより狭い間隙では急速に正圧力となる. 図では声帯の等価スチフネス曲線も声門間隙 0.1cm の所に重ねて書いてあるが (両側声帯が対称的に変位するものとして片側声帯のスチフネスの 1/2 にとってある), たとえば声門間隙が 0.1cm のとき呼気圧 10cm H2O を加えると声門の平均圧力は負になり両側声帯は平均圧力 Pm 曲線とスチフネス曲線の交点まで引き寄せられて平衡する. つまり声門が元の位置よりやや吸いこまれた位置で静止してしまう事になる. つまり自励振動の可能性がない. また陰圧も極めてわずかな値である.

ところが声門部を上下2部に分け別々の間隙巾を有すると考えると, 圧力分布は変って来る. この関係をより詳細にみるため上部間隙を一定にし (h2=0.08), 下部間隙 h1 を変化せしめた場合の平均圧力変化 (Pm2, Pm1) を示したのが図2である. (呼気圧 10cm H2O の場合) 声門下部の平均圧力 Pm1 は流速が最高となる h1 が 0.03cm 以下の狭い狭窄では h1 の開大に伴い正圧力から負圧力に急激に低下する. one mass 1 質量モデルでは h=0.2 で Pm=-0.25k dyne/cm2 であったのに比して2質量モデルでは h1=0.03 で Pm1 は -12k dyne/cm2 と大きな陰圧を生じている. h1 が 0.03 以上に開大しはじめると陰圧は減少し陽圧へと移行する. つまり声門下部 h1 の開大により圧力は上昇し, さらに開大を助長する様に働く (負スチフネス特性). これも2質量モデルの特徴である.

次に h1 を一定 (0.08cm) とした場合 h2 の変化により Pm1 (下部平均圧力) Pm2 (上部平均圧力) がどう変化するかを示したのが図3である. 上邸声門巾が変化しても上部声門圧力 Pm2 の変化は少いが,下部声門下庄Pm1 の圧力変動は極めて大きい. h2=0 で約 +10cmH2O だった Pm1 が h2=0.2cm で約 -17cm H2O という大きな陰圧になる. (one mass では最大 -2.5cm H2O). つまり上部声門間隙 h2 が大きく開大すれば下部声門の平均圧力は極めて大きく負圧になる. 上部声門の開大が流速を通じて下部声門の閉鎖を促す様に働くわけで上下声帯が位相のずれ (上唇が常におくれる) を伴い振動する 理由がよく理解できるのである.

図4は2質量モデルを図示したものであり, Kc は上下両層をつなぐ結合スチフネスで, K2 と共に粘膜移動性と最も関連した因子である. Kc が極度に増加すれば1質量モデルと等しくなる.

以上を要するに声帯が上下2部分に分れ (位相差をもって) 振動する事により, 声門部上下での圧力変化が声帯振動し易くなる様に働くのである (自励振動条件). この声帯が上下2部分に分れて振動するためには粘膜の移動性が良く, しかも粘膜のスチフネスが声帯筋, 執帯部のそれらより低い事が必要条件なのである.

図4に示したモデルは現実の声帯つまり声帯筋, 弾性円錘とそれを被う粘膜という構造とは一見異っているが, 声帯が振動した場合, 広戸らの報告に見られる如く結果的には同じ事になる. 声帯の振動の垂直方向成分が無視されていると指摘する向きもあるが, 声帯振動により気流を断続するという本質的部分は水平方向のみにあり垂直方向にはない. 最近石坂らは2質量モデルで声帯上下唇の垂直方向運動解析を計算扱を用いて追加発表して いる.

声帯の自励振動条件は声門での流速 (あるいは呼気圧), 声門間隙, 声帯のスチフネス (結合スチフネス) に関係している事.

さてこの2質量モデルでは, 発声に関連したバラメターを与える事により声門面積波形, 声門体積流波形 Qg などが得られ, 直ちに生理的現象との比較対照が可能である. 例えば図5は気流の来ない時の声門面積 (これを Ag0 とする) 0.05cm2, 声門下圧 (Ps) 8cm H2O の際, 結合スチフネス Kc や声帯上部 (粘膜) スチフネス K2 により声門体積流がどう変化するかを示したものである. Kc (粘膜移動性に最も密接に関係すると思われる因子) が, 小なる間は声帯上下の位相のづれが大きく, 声門の O.Q.-Opening Quotient (duty ratio = 声門開放期 / 1周期) も小さいが, Kc を増大させていくと振巾は殆んど変らぬが位相差は減少し, O.Q. も増大, 対称三角波形に近づく. さらに右端の方に, つまり声帯振動領域の限界近くまで Kc を増大させると m1 と m2 は殆んど一体となって振動し, 振巾は減少, 声門は完全には閉鎖しなくなる. 裏声では丁度この様に声帯は一体となって振動し (波状運動を認めない) 振巾は小さく, 声門は完全閉鎖しなくなるが, よくこれと対応している. 実際の裏声では Kc のみならず声帯質量 mass の減少, 厚みの滅少, 長さの延長, K1 K2 の増加も当然伴っており, それらの数値を与える事により, 実際に即した simulation が可能だが, Kc のみの変化でどの程度の影響がでるか, これを知る事は生理実験でも不可能であり, モデルによりはじめてその影響を知る事が出来る点に大きな意義がある.

臨床所見, 生理実験成績とモデルによる計算機シミュレーションとの関連について.

臨床症例においては声帯の種々の因子が同時に異常になっている事が多い. 例を喉頭癌にとれば, 声帯辺縁の腫瘍により声門閉鎖は完全にできず (Ag0 は増加),質量, 厚さも著明に増加するのみならず, 癌細胞の浸潤により粘膜の移動性も著明に低下(Kc の増大) しているであろう. その場合の声帯振動状態 (声門面積波形, あるいは声門体積流波形) を知り得たとしても, 多数因子が同時に関与しているので, そのメカニズムを知る事は極めて困難である. その解釈にはまず各因子を独立に変化させた場合の声帯振動に及ぼす影響を知る事が大切で, 生理実験である程度これは可能である. 例えば声帯に小鉛片をつけ粘膜移動性にあまり影響なく声帯の重みを増す事は出来る. しかし純粋に声帯下唇のみの重みを増す事は不可能でこれは計算機シミュレーションによる他はない.

一方, 生理実験データなくしては計算械シミュレーションに与えるべきパラメターの数値が決らない. この数値をできるだけ生体に近い値に近づけてこそシミュレーションの価値が高まり, やがて複雑な病態を完全にシミュレートし得た暁にはその機構, 原因が自ずから明らかになり治療面でも役立つのである. 例えば声帯を前後の多数部分に分割したモデルが完成すれば声帯結節がどうして女性に多く, しかも声帯前中の境界線に発生するかも明らかになるであろう.


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Last update: March 17, 1999