喉頭機能外科 : III 発声障害のメカニズム : 実験6 声帯緊張不均衡時声帯振動の計算機シミュレーション
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石坂の2質量モデルを用い左右声帯緊張差のある場合の振動パターンを求めた.
生体あるいは摘出喉頭では種々のパラメターを連続的に独立変化せしめる事が出来ない. 従って「声帯緊張が左右異なっていても左右周波数は同一である」という結論も, 厳密にいえば極めて限られた実験条件内で実証された事であり, ある特殊な条件では, 左右別々の周波数で振動しないとは断定し難い. そこで, より定量的関係を知り, 生理実験と対比する目的で, 石坂モデルによる計算機シミュレーションを行った. 詳細は既に発表済なので省略し要約のみについてのべる.
計算機シミュレーションの結果は生理実験のそれと驚くべき程よく一致した. すなわち声門間隙 Ag0 により基本的に3つのパターンが得られた.
計算機によって得られたパターンを図37に示す. 声帯緊張を示す係数として Q すなわちこの係数により声帯の質量, 厚みは 1/Q となり声帯スチフネスはQ 倍に変化する様, 係数を設定してある.
さて図38の如く右 (グラフ基線より上方) 声帯の緊張度 (Q) のみを漸増していくとともに, 位相がずれ, 緊張側が必ず進相となる事が判る. 左右の Q の比率と位相のずれを示したのが図38である.
左右の Q に差がある時, 実際起こる振動の周波数はどう決まるか, QL と QR の平均かどうかの問題がある. その解答が図39である. 平均ならば, 水平線となる筈であるが, そうはならず, 低い周波数振動の方が大きい影響力 (dominant factor) をもつという事である.
振巾の左右差は興味深い. 図38の如く両声帯衝突線より測った振巾は弛緩声帯 (Q = 0.8) の方が緊張側よりも小さく, Q 不均衡と共に益々小さくなる. ところがさらに反対側緊張が高まると (Q > 1.2) かえって緊張側の振巾が小さくなる.
Q の不均衡が極めて大きくなると声の強さも減弱, また瞬時基本周波数の変動も多少現われて来る. ところが Q 不均衡をもっと大きくすると逆に基本周波数の瞬時変動は起こらなくなる.
声門間隙のわずかな変化, 声門下圧に影響されて声帯振動パターンは複雑に変化するが, 基本的には Type II で, 聴覚印象ではR型嗄声ないし2重音声である. 図40の如く左右声帯振動数が一見異なる事も起こる. 2重声については考按の項でふれる.
既述の如き Type III の振動をする. このパターンは特に緊張不均衡特有というのではなくむしろ声門閉鎖不全特有のものだが, 緊張不均衡があるとやはり左右声帯振動にわずかだが位相差が認められ, 緊張側が進相である. 声の合成でも, 気流がレイノルズ数を超えるので乱流雑音を発し気息性音声が得られた.
声帯振動の計算機シミュレーションの結果は生理実験結果と「声門間隙の大きさにより3つの振動パターンがある」という点で予想以上の一致をみた. また振動の周波数, 位相差, 振巾などでも両者の結果は極めて良く一致した. 両者の結果が一致したという事で互の実験成績の信頼度が高まるのみならず, 計算機シミュレーションには以下にのべる利点, 臨床的意義があるものと考える.
声帯緊張度の不均衡により位相差の生ずる事は生理実験で判明したが, その定量的関係は, 各パラメターを厳密に一定には保ち得ず, また位相差を多数例で解析する事が困難なため, 明らかにし得ない. 計算機シミュレーションによりこの関係が明らかにされた.
生理実験では一因子のみを独立に変化し得ない事が多い, 例えば一側前筋を収縮せしめると, 両声帯の緊張が共に変化し, ただ収縮側の方が程度が高いというだけである. また一側前筋収縮により声帯緊張度のみならず, 声門軸も変化する. 従って実験結果として位相差を認めた場合, それが真に緊張差という要因により起こっているのか, または声門下有効面積の変化 (緊張側が広い筈) によって起こるのかは断定し得ない. 計算機シミュレーションにより, この問題は明らかに緊張差という因子のみによって起こり得る事が判った.
生理実験とコンピューターシミュレーションの結果のわずかの差, たとえば「振巾は生理実験では差を認めない事が多いが, シミュレーションでは差を認める事が多い」等も生理実験においては左右緊張差 (QR/QL) をあまり大きく出来なかった事に起因しているものと考えられる.
各因子を厳密に一定に保持できるので微細な変化を推定しうる. 声帯緊張不均衡による声の強さの変動, 基本周波数の瞬時変動などは比較的わずかであり, 生理実験では探知しがたい.
生理実験の裏付けとしての意義は勿論だが持にその結果が生理学的ないし臨床的に意義をもつものとして2事項をとりあげる.
Q の不均衡が小さければ位相差もわずかで, 周波数瞬時変動もなく, 振巾差も少い. Q の不均衡を増していくと位相差もふえ, 周波数瞬時変動が少し現われると共に弛緩側振巾は減少する. 振動周波数はどちらの Q 値でも決定されず中間値 (平均値ではない) をとる. ところが, Q 不均衡を極度に大きく, 一方を殆んど振動しない様にすれば, 弛緩側自身の Qによってすべては決定され, 安定した振動をする.
臨床的にも, 両声帯緊張の不均衡が中途半端にあるよりも, 一方の声帯が極度に緊張し全く振動せず, 一側のみで振動をコントロールした方が良い事もある. 高度の音声障害の際には最後の手段としてこういった考え――一側声帯が健全ならば他側の声帯を振動させない――という考えもあり得るという事である.
2つの別々の高さの声(倍音関係にない)を同時に出す場合をいうがそのメカニズムは不明, 定義も極めて曖昧である. 実際に典型的二重声といわれる声を聞いても, 美しい声ではなくR型嗄声に近く, とにかく低音要素が混っている, 声帯不均衡時の Type IIでは計算機シミュレーションの結果でも左右声帯が異なった周波数で振動し得る. その条件は中等度の間隙 (0.05cm2 > Ag0 > 0.015cm2) があるという事である. この辺に2重音声が嗄声的要素を含んでいる理由があるのかもしれない. 2重音声はこの他, 明らかに声帯と仮声帯が振動して起こる事もある. 我々も実際そういった症例を経験しているがその場合は明らかに2つのピッチが知覚され2人が同時に声を出している様に思われる. いわゆる dicrotic, tricrotic 2段波, 3段波の時の2重音声とは声の印象も異なる. また左右声帯の周波数が異なっても, 声帯振動そのものが音源ではなく声門面積変化が音に対応するのだから, 左右声帯の周波数 (振動数) が異なるからといって各々の周波数のピッチの2重音声とはならぬ事は当然である.
タイプ | 声門間隙 | 声帯振動パターン | 音声 | 安定度 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
周波数 | 位相のずれ | 振巾 | ||||
I (図32) |
なし又は小 Ag0 < 0.015cm2 |
規則的 左右同 |
著名 (緊張側進相) |
左右差 あまりない |
ほぼ正常 | 安定 |
II (図34, 35) |
中等度 0.015cm2 < Ag0 < 0.05cm2 |
不規則 左右同 (不同のこともある) |
軽度 | 左右差 あまりない |
粗[米造]性 (R) |
不安定 (声門下圧により変化) |
II (図36) |
大 Ag0 > 0.05cm2 |
かなり規則的 | 軽度 | 小 左右差 あまりない |
気息性 (B) |
安定 |
緊張側声帯の方が弛緩側声帯より進相 (早く開大, 閉鎖開始)
両声帯緊張に差があっても, 両声帯振動の周波数は同じ (規則的振動の場合)
両声帯緊張に差があっても, 声門閉鎖不全がなければ嗄声にはならない.
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