喉頭機能外科 : III 発声障害のメカニズム : 実験9 声門部乱流雑音発生実験
← : III-5 声門における乱流雑音
→ : III-6 声帯の減衰率 (damping ratio) などについて
声門における乱流雑音の発生条件を解析し, 雑音の強さと原因々子との定量的関係を究明する.
実験方法の概略を図53に示す.
使用した喉頭模型 (喉頭蓋はないが仮声帯はつけてある) : 人摘出喉頭より型をとり実物大模型を作製, 声帯は振動せぬ様, やや硬質シリコンを使用, また声門面積は可変である. 作製の実際は高研 (秋山太一郎博士) に依頼した.
各条件における声門面積ならびに声円周囲長は, 声門を一旦カメラに撮った後, 投影拡大, 計測した. 他の測定パラメターは, 1) 気流流率 (ミナト式熱線流量計による), 2) 声門下圧 (圧トランスデューサーによる), 3) 雑音レべル (騒音計, weighting C にて音圧を測定) である. 音源とマイクロホン距離は 10cm. また気流のマイクロホン直撃を避けた. 実験は防音室内にて行なった.
大間隙 (0.492cm2) では U = 300cc/sec, ps = 0.08cm H2O ぐらいで, 小間隙ではU = 50cc/sec, ps = 0.56cm H2O で雑音は発生しはじめる. (周囲の雑音 (30dB SPL ref. 0.0002dyne/cm2) より 2dB 上) 各々の条件での臨界レイノルズ数はほぼ 1500〜2300 だが, 概略 2000 前後と考えてよい. また雑音の音圧はレイノルズ数のほぼ2乗に比例している事が判る. 声門をせばめて行く際, 間隙の形が多少変化する, 大間隙では矩形〜三角形だが漸次三角形, 小間隙では円形となる. Re = 4U /νS に示される如く円では他の形に比し面積の割合に周囲の長さ (円周) が小さいので相対的に Re は大きくなる. つまり同じ断面積ならば円形の場合, Re が大きく従って雑音を発生しやすい事が判る.
各声門間隙における, 流率と雑音レべルとの関係を対数グラフにて図60に示す. 声門間隙を一定とし U をますと雑音は当然増強する. 一般に U が倍となれば 12dB 増加しているが (雑音々圧は流率の2乗に比例) とくに声門間隙が小さい (Ag0 = 0.011, 0.042) 場合この関係が明らかである.
3), 5)式は声門状態を一定とすれば pl = kU 2 と書き換えられ, 計測の結果は極めて理論値とよく一致する. しかしながら声門間隙が大きい場合には理論値とそれ程は一致せず, U の増加により予想値より強い雑音を発生している. これは声門のみならず仮声帯レべルでも雑音が発生しているのではないかと解釈される.
当然の事ながら (間隙を円とすれば 6) 式より Re 2 = k・U 2/A がなり立つ) 同じ U に対しては小きな間隙の方が Re が大きくなり従って大きな雑音を出す. また小さな間隙の方が Re が大きくなるので少い流率 U で雑音を発生し始める. (小さい U で Rec に達する). 但し実際の声帯では声門間隙 Ag0 = 0.01cm2 などの小間隙の場合, よほど異常に硬い声帯でなければ声帯は振動し始めてしまう.
一側仮声帯辺縁に 10mm×5mm 大の障害物をつけ, 声門上を被う腫瘍 overhanging tumor を模擬してみた.
同じ大ききで一方は表面平滑, 他は粗表面の平滑度の異なる2種の障害物を作り比較した. 音圧レべルと流率との関係を図61に示す. 障害物の存在により明らかに (数dB差) 雑音レべルは上昇する. 粗表面の万が平滑平面より強い雑音を生ずるが, その差はあまり大きくない (同じ流率の場合, 1〜4dB (平均2.5) 程度の差)
周波数スぺクトラム (ソナグラフ) (図62, 63) にて明らかな如く白色雑音の如く広い周波数帯域にわたったエネルギー分布を示す (特に 4000Hz 附近が強調されているが). 雑音の強さ如何によって雑音の周波数成分に大きな変化はない.
狭窄部を気流が高速で流れると乱流を発生し雑音を生ずる. 嗄声とくに気息性嗄声の雑音はこの様にして生ずる乱流雑音である.
さて臨床的に特に気息性嗄声を来す疾患としては反回神経麻痺, 声帯皺, 喉頭外傷後, 喉頭放射線治療後, 過量の声帯内人工物注入を行った後, などがあげられる. (また喉頭癌は喉頭ポリープよりも気息性因子が強い.) これらの疾患で何れも共通していえる事は, 発声中声門閉鎖不全が見られ, 声帯振動の振巾が小さい. また, 発声時呼気流率は極めて高値を示す事が多い. 本実験は要するにこの臨床的事実を定量的に実証したものである. すなわち乱流雑音の発生条件として
があげられる. 例えば発声中声門閉鎖不全があるからといって必ずしも雑音を発生しない.
例えば裏声発声中, 声門は完全には閉鎖しない事が多いが雑音を発生しない. これは声門が最小にせばまった瞬間呼気の漏出は勿論あるが流速があまり速くなく乱流を生じない (臨界レイノルズ数に達しない) ためと考えられる. また大声を出した場合, 声門が開く瞬間の呼気流速はかなり速いものと考えられるが同様雑音を知覚しない. これも流速が足りずに乱流を生じていないか又は規則的に断続する呼気流による発音成分に比し乱流雑音が相対的に小さい. つまり S/N 比が大きいという事も関与しているかもしれない. (石坂 : personal communication). 厳密にはなお残された課題ではある.
「同じ流率なら狭い間隙の方がより強い雑音を出す」という事は臨床的経験と合致しない様に思われる. なぜなら一般に声門閉鎖不全が大きい程嗄声は高度だからである. ここで注意すべきは本実験では乱流雑音のみを純粋に分析するため声帯振動が起らぬ様な模型を使用している事である. 通常の声帯では声門閉鎖不全が小さけれは声帯はよりよく振動し, 従って雑音も発生しない. 上記の「狭い間隙の方がより強い雑音を出す」という事はあくまで声帯が振動しないという条件下での話である. 実際, 喉頭外傷による声帯瘢痕→大きいスチフネス→声帯非振動の場合には狭い間隙ほど強い雑音を出す.
心因性失声症で全く音が出ないわけ.
心因性失声症では屡々声門は完全あるいはほぼ完全に閉鎖しているに拘らず, 声帯は振動せずまた雑音も発しない. これは心因性の過緊張により声帯のスチフネスは異常に大となり, 振動しにくくなる. 充分な呼気流が来れば当然乱流雑音を発生する筈であるが, 呼吸運動が異常に浅くなっているため, 充分な呼気流が与えられず, 流速もそれ程遠くならず (Rec 臨界レイノルズ数に達せず) 雑音も生じないものと推察される.
囁き声の際には声門後部に小三角形様の間隙を生ずる. これは乱流雑音発生に必要な条件, (1) 声帯の振動し難い事, (2) 小間隙 (円形に近い方が細長形より効率が良い), (3) 充分な呼気流率を満している.
声門後部の軟骨部は振動し難く, 間際も三角形状で声門膜様部間隙に見られる細長矩形より雑音発生に適しているといえる.
反回神経麻痺などで声門閉鎖不全が高度な場合には乱流雑音はかえって減少し, 声は無力性→失声となる. これは円形間隙とした場合 Re 2 ∽ U 2/A で明らかな様に断面積が大きくなると, Re は減少,雑音を発生しにくくなる.例えば声門大間隙では 500cc/sec の呼気を送っても声門より 10cm の所でわずか 47dB SPL の強さにすぎない.
声門を通過する気流の流速がある一定値を越すと (厳密には気流のレイノルズ数が臨界レイノルズ数を越すと) 気流は乱流となり雑音を発生し気息牲嗄声の原因となる.
§. 乱流雑音の音圧は声門条件が一定ならば気流々率の2乗に比例する. 気流々率が一定なら狭い断面部でより強い雑音を発生する.
§. 声門部における臨界レイノルズ数は約 2000 である. 雑音々圧はレイノルズ数の2乗に比例する.
§.声門上気流の障害物は乱流雑音の強さを増強する. 表面粗なものの方が表面滑なものよりより強い雑音を発生せしめるが, その差は僅か (数 dB 以内) である.
§. 声帯振動の振巾が極めて小さい場合, 声門間隙と呼気流率から声門部で発生している雑音の強さを推定する事が出来る.
§. 嗄声患者の呼気流率から類推して, 気息牲嗄声の要因である雑音のレベルはあまり高くない事が判った.
喉頭機能外科 : III 発声障害のメカニズム : 実験9 声門部乱流雑音発生実験
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