喉頭機能外科 : III 発声障害のメカニズム : 実験10 声帯の減衰率
← : III-6 声帯の減衰率 (damping ratio) などについて
→ : III-7 嗄声を来す要因まとめ
上述
剖見時摘出された喉頭ならびに声帯に浸潤を認めない喉頭癌摘出喉頭 (反対側声帯) を用いた. 図64に示す如く, 小金属片の一端をゴム (向って右), 他端を絹糸で牽引, 膜様部声帯中央部を小金属片で外側に偏位せしめる. 絹糸 (向って左) を切断すると金属片とゴムは右方へ飛び, 声帯の減衰振動が励起される.
この際, 最も大切な事は喉頭自体のゆれを防ぐ事である. 我々はネジ付固定リングの上にまず輪状軟骨を固定, さらに甲状軟骨周囲を石膏で固めた. 絹糸切断の瞬間を高速度映画撮影 (6000駒/秒) を行い, 後刻分析し, 声帯の減衰振動軌跡を求めた.
ゴム金属片が声帯を離れてから最初のピーク A1, 順次相隣る極値 A2, A3 を測定し図65に示す式により減衰率を求めた.
数式の理論的考察は電通大, 石坂謙三教授によった.
高速度映画分析の結果得られた声帯の減衰振動波形ならびに減衰率を図66に示す. 図66は剖見例で, 減衰率 0.237, 図67, 図68は手術例でやや高くそれぞれ 0.32, 0.344 である.
その他数例においても, 何れも剖見例は手術例に比し減衰率はやや小さな値であった.
これは声帯が手術例では剖見例より, より浮腫状 (血管結紮のためか) になっていた事が関連しているかもしれない.
浮腫との関連で, さらに急性喉頭炎の如く声帯腫張状態を模する意味で声帯内に生理的食塩水 0.12cc を注射した, その結果を図69に示す. 上段はコントロール. 下段は注射後だが, 減衰率は 0.237 から 0.334 と大きくなった.
一般に質量附加により見かけ上の減衰率は減少する.
ζ´/ζ=√(m/(m+m´))
ここに ζ´ は附加質量のある場合に測定される見掛け上の減衰率である. 従って生食液注射が単に質量増加として働くとすれば減衰率は減少する筈であるが, 実際にはかえって増大した. この事は物性変化がより大さな因子として働いているものと考えられる.
次に声帯に質量を附加した場合の振動を図70に示す. 声帯辺縁に鉛板 39mg の附加により減衰率は 0.32 より 0.278 と小さくなっている. また周期が大巾に延長しているのが判る. 附加質量 m′ によって, スチフネス, 抵抗などが変らないものと仮定すれば, 声帯の振動質量 (等価質量 m) を次式で計算できる.
m=m´/ ( (Tn´/Tn)2 - 1) ) = m´ / ( (Td´/Td)2・(1-ζ´2 / 1-ζ2) - 1 )
ここに m : 声帯等価質量, m′ : 附加質量, ζ : 減衰率 (′は附加後), Td : 減衰振動の周期, Tn (固有振動の周期) =Td・√(1-ζ2)
我々の計算の結果では等価質量は 120mg (男性) であった. 鉛板接着により質量増加のみならず他の因子にも多少とも影響している事が考えられ, その精度については今後なお検討を要する.
声帯の固有振動数 (又は周期), 振動部質量が判れば, 次式により声帯の動的スチフネスが計算される. すなわち
従って図66, 図70についてこれらを検討すると各々f0 = 60Hz; k = 17kdyne/cm, f0 = 130; k = 81kdyne/cm となる.
これは声帯弛後時の値であり前節収縮により声帯が緊張すれば k の値も当然増加するものと考えられる.
声帯の減衰率についてもう一度その臨床的意義について考察すると, 減衰率が増加すれば声帯は振動しにくくなる. 具体的にいえば発声 (声帯振動) に必要な最小声門下圧は増大する (高い声門下圧を加えないと声帯は振動しない) . また減衰率の増加と共に声帯振動の振巾は減少し, 声帯振動の閉鎖期率は増大する.
減衰率が 0.1 と小さければ, 声帯は振動し易くなるが, 左右声帯の不均衡の際の影響はより大きくなり振動は乱れ, また急激にピッチを変化させる場合にも不利と思われる.
図71はシミュレーションにより減衰率とその減衰振動パターンを例示したものである. 上段が減衰率 0.2, 下段が 0.4 である. 摘出喉頭での測定結果は 0.3 前後であり, 多数の分析例の振動パターンからも, ほぼ 0.2〜0.4 の間にある事が判る. 声帯の減衰率はすでに金子らにより測定されているが, 今回の我々の得た値は金子らの値よりやや高値であった. これは主に実験方法の差によるものと考えられる.
声帯のスチフネス等についても金子らの計測がすでにあり, 貴重な情報を提供している.
なお振動時の dynamic stiffness とか, 生体における計測法など残された困難な問題が多い.
dampingという言葉は Pressman 以来, 時に誤用されている. 彼は声の高さの調節機構で, 声帯振動部分を減少せしめて声を高くする事を damping process と称したが, これは van den Berg により既に指摘された如く全くの誤用である.
喉頭機能外科 : III 発声障害のメカニズム : 実験 10 声帯の減衰率
← : III-6 声帯の減衰率 (damping ratio) などについて
→ : III-7 嗄声を来す要因まとめ